10年のキャリアを捨て、再出発を選んだ理由
戦略コンサルタントと研究員として歩んだ3,650日。保証された明日を捨て、不確実な今日を選んだ論理について。
慣れ親しんだ道にいることの危うさ
10年という歳月は、想像以上に多くのものを強固に作り上げてくれます。単に経験が積み重なるだけでなく、自分なりの仕事のスタイルが確立され、何より「どうすれば失敗せずに結果を出せるか」という感覚が研ぎ澄まされていきます。
私自身もそうでした。戦略コンサルタントとして企業の課題を定義し、国策研究機関で政策の動向を分析しながら、安定的にアウトプットを出す術に習熟していました。客観的に見れば、その道を歩み続けることが最も自然で合理的な選択でした。そこには社会的地位、報酬、そして予測可能な未来が約束されていたからです。
しかし、熟練度が高まるにつれ、皮肉にも内なる疑問は膨らんでいきました。「このまま進み続けることが、本当に最善なのだろうか?」。この問いはある日突然訪れた衝動ではなく、静かに、しかし執拗に頭の中を巡り、慣れがもたらす安らぎを揺さぶり始めたのです。
「慣れ」という名の知的な錯覚
慣れているということは、心地よいものです。しかし同時に、それは「もはや考えなくてもいい状態」を意味することもあります。すでに知っているフレームワークや、かつて成功した分析手法で成果を出し続けることは、専門家としての効率性を証明はしますが、個人の成長が停滞しているサインでもありました。
戦略家として他人の課題を解決することには長けていても、いざ「自分の人生の主導権」を完全に握り、何かを一から作り上げる感覚は次第に薄れていました。私は自ら作成したレポートの陰に隠れていただけで、実際に市場の荒波を一身に浴びながら、何かを形にする当事者ではなかったのです。
結局、私が手にしていた熟練とは「成長」ではなく「洗練された反復」に過ぎなかったのだと気づいたとき、私はもう、その道の上に立ち続けることはできませんでした。
選択は決して「準備が整った状態」では訪れない
多くの人は、完璧に準備が整えば始められると信じています。私もかつては、もっと技術を磨き、資金を蓄え、確実なビジネスモデルが構築できれば動こうと考えていました。しかし実際には、人生の重大な転換点は決してそのような形では訪れませんでした。
準備ができたから選択したのではなく、選択をまず下した後に、ようやく準備が始まったのです。振り返れば、個人開発者の道を選んだあの時点で、私は全くの未経験でした。実戦での開発経験は乏しく、技術スタックも断片的で、成功への確信など微塵もありませんでした。
それでもその選択を下さざるを得なかった理由は、たった一つでした。「もはや過去の方程式では、自分の次の10年を設計することはできない」という切実な思いです。準備ができていない恐怖よりも、このまま慣れの中に埋没してしまうことへの恐怖の方が勝ったのです。
捨てたのではなく、人生の価値を入れ替えたのだ
周囲の知人からは「なぜこれまでのキャリアを捨てるのか」と聞かれます。10年の努力がもったいないという心配の声も届きます。しかし私にとっては、捨てたのではなく、人生の優先順位を入れ替えたに過ぎません。
- 安定(Stability)から不確実性(Uncertainty)へ
- 慣れ(Familiarity)から違和感(Novelty)へ
- 結果中心(Outcome-oriented)からプロセス中心(Process-oriented)へ
この変化は痛みを伴いました。毎月の給与や名刺一枚で証明されていた存在感が消えた場所には、己の実力だけで耐え忍ぶ過酷な現実が待っていました。しかし、見知らぬ技術を学び、エラーメッセージと格闘しながら自らサービスをデプロイする過程で、私はこの10年間忘れていた「生気」を取り戻しました。
主導権という新しい基準
以前の私にとっての基準が「他人よりいかに優れたか」であったなら、今の基準は「私は昨日より優れた作り手になれたか」です。
戦略コンサルタント時代はクライアントの意思決定によってアウトプットの運命が決まりましたが、今は自ら作り、自ら決定し、その結果に対して自ら責任を負います。この「絶対的な責任感」は、想像以上に重いものですが、それ以上に比類なき自由をもたらしてくれます。
この選択が最終的に成功か失敗かは分かりません。ただ一つ確かなのは、私はもう他人が敷いたレールの上で地図を描く人間ではなく、自ら道を切り拓く開拓者の人生を歩んでいるという事実です。
「再出発」の本当の意味
再出発とは、過去を否定してゼロに戻ることではありません。むしろ、これまでに積み上げてきた10年の洞察と経験という資産を手に、全く異なる道具を携えて進むことです。
戦略コンサルタントとして問題を構造化してきた習慣は、複雑なコードを設計するアーキテクチャとなり、国策を研究する中で培った忍耐力は、ユーザーの些細な不便さまで突き詰める執念へと変わりました。過去の時間は決して消えてはいません。それは、個人開発者という新しい器に注がれ、形を変えて生き続けているのです。
私はこの選択を、決して後悔していません。10年のキャリアは私に「安全なシェルター」を与えてくれましたが、私はそのシェルターを出て、あえて荒野を歩むことにしたのです。
自ら選んだ道の上にいるという感覚
確信があるからこの道を歩んでいるわけではありません。ただ、この道でなければ自分を証明する術がないと感じたからです。今もなお夜は深く、未来は不透明です。しかし少なくとも、私は今、自分が選んだ道の上に立っています。
「私が決め、私が責任を負う。」
この明晰な感覚一つだけで、私は明日またモニターの前に座る十分な理由を得られます。そしてこれこそが、私が10年のキャリアを捨ててまで再出発した、本当の理由なのです。
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